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包括編集後記

後記「万葉恋綴取材旅行記」

  

万葉恋綴(まんようこいうた)上下巻
取材旅行記に関するあとがきです
   

 :小説に葛城襲津彦が直接、登場するわけではありません。

  葛城氏を祖とする──というくだりがあるのみですが、

 

設定というか、葛城氏の出自を朝鮮半島においていました。

まあリミッター解除すれば人類の祖はルーシー夫人まで遡るわけで、

襲津彦の代で朝鮮半島に生まれたかは謎っちゃ謎のままです。

ただ井上辰雄著「熊襲と隼人」教育者歴史新書にある、

熊「襲」の「津」=港を出自とする説が自分の中で信憑性が高い。

大和王権に服属した九州土着豪族は熊襲と隼人なので、

この時代の屯倉(みやけ)、県(あがた)いわゆる皇室領は、

九州の南半分となる。

ざっくり現在の鹿児島県が隼人であり、熊本県と宮崎県が熊襲だろうか。

天孫降臨伝説がある高千穂も熊襲に含まれている。

どのように勢力範囲が推移していったか定かでないが、

倭国大乱や磐井の反乱を考慮すれば、

九州の北半分が朝鮮半島と結託した勢力と言えるかも知れない。

磐井氏の遺跡として最も目をひくのは石像群だと思う。

朝鮮半島といえば、ざっくり百済=木造文化、新羅=石造文化、

高句麗=騎馬民族との先入観念あるので、

常識的に考えて北九州勢力を同盟下に置いていたのは新羅だろう。

この筑紫国磐井氏を討ったのが物部麁鹿火(あらかび)。

「記紀」には大和王権の軍事を司る勢力に物部氏の名があり、
朝鮮出兵に対する功労が付記されているのだが、
こいつ、ホンマに朝鮮半島いったんか?とゆー疑問が残る。
いわゆる北九州勢力を叩いたコトを以って、朝鮮出兵功労者だったのではないか。
「三国史記」には数え切れないほどの朝鮮出兵記録が書かれているが、
これ高麗時代の反芻日記なので、日本の「記紀」や中国史書同様、
すり合わせの必要があり、単独では史実とは言えない。
そのうち、どれが史実or誤記で、また座標の読み違いすらあり得るため、
当時における朝鮮勢力の概念がどうのようなものであるか、
ちょっと考えてみる必要はあると思う。
また、これ書くと現状の日韓関係からいろいろ突っ込まれるかも知れないけど、
北九州ぶっ叩いて朝鮮ゆわしたったとかゆー概念をもって、
当時の北九州が韓国(※なぜ?)の領土だったとか主張するわけではない。
だいたい三韓は三国に立脚して同盟も結託もしていないし、
先に挙げた木造、石造、騎馬民族の文化特性からして、まったくの別民族だろう。
個人的には朝鮮半島に展開した小国家群は、春秋七雄時代から秦、前漢にかけて、
中華で異民族排斥された吹き溜まりっぽいイメージがある。
当時の中華で異民族といえば、百越、胡族、投降匈奴だろう。
※一部まとめによれば匈奴は胡族つか五胡に含みます。
座標読み違えとしては、又聞きであるためどちらさんの説か不明なのですが、
現山陽道に点在する「ヤマト」由来の地名を以って神武東征の根拠とするもの。
人の土着の流れによって同種の地名を与えるのは興味深い。
  
いずれにせよ、軍事部門としての物部氏や葛城氏を扱うとき、
朝鮮半島を避けるわけにもいかない。
田中勝也著「古代日本異族伝説の謎」大和書房には、対馬を任那の興りとするが、
国家形成は朝鮮半島や北九州に勢力範囲を延ばしてからの話であって、
此処では黒潮文化の到達拠点のひとつであるに留めたい。
いや黒潮文化ってかなり古いんだけどね。考古学でないと解析不可能なやつ。
熊襲や隼人が何処から来たのか、さすがに考えの及ぶ範疇ではないけれど、
出来る限り自分なりに日本の成り立ちを組みたてなければ、
「万葉恋綴」は書けませんでした。
   
  • 2019.06.08 Saturday
  • 00:00

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