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万葉恋綴【小説】

万葉恋綴(まんようこいうた)下巻2-10

 

允恭帝紀
 

万葉恋綴・下巻

2-10
 
軽皇子が大前宿禰をともない、淡路へ薬猟に出掛けたときのことである。
原野に鹿を追い続け、小休止をしていると、
前方に群生している麻の畑から草掻きの音が聞こえる。
獣が出るか、それとも処女(をとめ)が顕れるか。
果たして、暑い夏の陽射しに肌を焼いた処女がひとり、
背丈の倍以上もある麻の波間から、ひょっこりと顔をのぞかせた。
 
「あっ.. 」
 
思いがけず出会った二人の男性に躊躇したものか、
すぐにまた、麻畑の中に潜んでしまう。
 
「おそらく、斎宮に務める巫女のひとりでしょう。」
 
大前宿禰が詮索するには、収穫した麻は縄に糾われて、
祭祀に用いられるというのだから、社の所有する土地である可能性が高い。
平民ならば普段より目にする機会も多くあろうが、
宮中に仕えて儀礼を学ぶ様子を見慣れている豪族の男たちにとって、
野良仕事に汗を光らせる姿は、新鮮でもあり、美しくも思えた。
 
「昔、私が小さかった頃にも、同じ光景に触れた気がする。」
 
あれはまだ、衣通媛が藤原にやってきたばかりの頃だろうか。
背の高い麻畑でなく、鬼灯(ほおずき)の生える邑はずれでの出来事。
 
「憶えているか?鬼灯(ほおずき)の草むらに、
 すっぽり隠れてしまうくらい、小さかった頃の思い出話さ。」
 
「はい.. 」
 
ひと言だけ、大前宿禰は相槌をうつ。
軽皇子が允恭帝の后である媛を思い馳せているのは、
幼い時代より侍り親しんできた彼ならば、容易く見抜くだろう。
 
ふと、いましがた処女の隠れた辺りで一括りの麻が切り倒される。
十尋はあるだろう麻畑の向こう側が見通せるほど、
真っ直ぐ刈り終えたのを満足げに、上気した処女が仁王立ちしている。
 
「運ぶのは品部の男衆だろうが、あれを纏めるのはひと苦労だろう。」
 
「ちょ.. 皇子尊?」
 
小休止を終えて、弓を手にするでもなく、
野良仕事の手伝いに麻畑へ歩いていく皇子。
大前宿禰は慌てて後を追う。
 
 籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち 
 この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね 
 そらみつ 倭の国は おしなべて 吾こそ居れ 
 しきなべて 吾こそ座せ 吾をこそ 
 背とは告らめ 家をも名をも
 
万葉集巻頭歌で知られる、雄略帝が菜摘みの娘に求婚する歌意。
いままで述べてきたように、娘の名は各地豪族より献上されてきた、
斎宮采女の出自を示す証でもあった。
たとえ天皇であっても、先帝と兄妹(姉弟)の契を交わした巫女を、
犯す行為は許されない。
 
「なんとか、陽が落ちるまでに片付いたようだね。」
 
「薬猟の収穫は、目も当てられませんがな。」
 
麻の束を縛り終えた皇子らと処女は、夕凪の瀬戸内を遠くに見て、
額に流れる汗を拭う。
麻畑の処女は、ついに去り際まで、名前を名乗ることはなかった。
すでに皇家の誰かと同母姉妹にあるものか。それとも・・・
 
「フラれてしまいましたな、皇子尊。」
 
大前宿禰のからかい文句に、軽皇子は一瞥をくれたものの、
返す言葉もなく、意味ありげな含み笑いをみせるのみだった。
 
 
翌朝、潮目が変わるのを待っていた軽皇子一向が、
船に乗り込み、河内の泊を目指す。
瀬戸の海には潮待ちの寄地がいくつも点在していたという。
皇子の目には捉えられないが、海人には常に見えていた。
島渡りの航跡、変幻自在の潮流、
さらには鱶(さめ)が、けして越えられない潮の檻までも。
 
「皇子尊、あれを御覧なされませい。」
 
大前宿禰が指し示す方向、最早、遠く霞むように見えるのみであるが、
淡路の社を舞台に白き衣を纏いて、ひとり舞う名も知らぬ処女。
あたかも、航海の無事を祈願してくれているような、心強さを感じる。
風は強く、追い潮。曇天が割れ、舞媛に射す一条の天光。
軽皇子は船縁から身を乗り出し、
言葉(ことのは)を潮風に乗せられた。
 
「私は、大和を愛している。
 このまほろばの国で、私は恋を叶えよう。」
 
  • 2017.02.25 Saturday
  • 00:00

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