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万葉恋綴【小説】

万葉恋綴(まんようこいうた)下巻2-8

  

允恭帝紀
 

万葉恋綴・下巻

 2 - 8
 

 イサナ?

 
 コイ!
 
清光に支配された濃青のなか、私奴婢の男と女が互いを呼び合う。
彼らは河内に設けられた軽部に属する者たちだったが、
即位の儀に連なる祝祭のため、大和を訪れていた。
允恭帝の施政する宮は、『日本書紀』に「遠飛鳥」とある。
祖父である応神、仁徳帝の施政地は河内にあったと伝えられるから、
当時の慣例には珍しく、父系の縁を辿られたのだろう。
「遠飛鳥」の意味については、後に触れてみたいと思う。
 
「ほら.. コイ、やっぱり此処にいた。」
「ふふふ.. イサナ、やっと見つけてくれたわ。」
 
軽部が定められたのは允恭帝が即位され、
軽皇子が皇太子一品となられてからであるが、
長く親しんだ土地勘は、むしろ河内にあった。
「遠飛鳥」での夜の逢引は、不慣れで緊張をともなったに違いない。
 
 片糸を 此方彼方によりかけて あはずは何を 玉の緒にせむ
 
 糸と糸が撚り合わさるように、男と女は引き合うものだ。
 イサナとコイの睦みごとは、月が山端に傾くまで続く。
 いつか、二人が愛し合った証を手に入れられることを信じて。
 〜作者訳〜
 
「もう、帰らなきゃ.. 月草の花が開いてる。」
 
肩を寄せ合い、語らう二人にも、やがて朝の光が訪れる。
周囲に綻ぶ青い花に気づいたコイが幾らかを摘み取って、
微かな香りを確かめる。
 
「僕にも、半分わけておくれ。また、逢える夜のために。」
 
允恭即位8年。軽大郎女は皇后の怨嗟を逃れるため、
飛鳥藤原宮から河内国茅渟へ移る。
このとき、軽皇子より私奴婢のコイが贈られ、
軽皇子と軽大郎女ふたりの逢瀬が始まるのである。
『古事記』によれば、允恭帝の茅渟行幸が軽大郎女21歳の頃、
これは記紀編纂における儀鳳暦に馴染むもので、
当時の大和には誕生月の概念がなく、数え年で春秋大祭を区切りとして、
現代では一般的なグレゴリオ暦の1年間に2歳加齢したという説がある。
これを踏まえれば、茅渟での再会は軽大郎女11歳となるだろうか。
『古事記』における軽兄妹の記述は、
姫37歳(春秋暦27歳)頃まで見られるため、
春秋暦を採用した考証のほうが妥当であると考えられる。
 
「コイ.. 今夜は逢いに行かないの?」
 
土間の筵敷きで片糸を撚りあわせる作業を続けるコイが、
一向に出掛ける様子を見せないので、軽大郎女が尋ねる。
 
「今夜は、月がありませんから。」
 
彼女の返事を、少しばかり不思議に思う。
隼人の民は夜道の闇にも目が届き、獣の匂いを嗅ぎ分けるという。
月明かりなどなくても、イサナの元まで駆けていくのは、
造作もないことだと考えていた。
 
「月のない夜は、ダメなのですよ。」
 
自分自身の未練を振り切るかのように、もう一度だけ、
コイは口ずさんだ。
 
「ねえ、隼人は目耳鼻が、とてもよく利くと聞いているわ。
 このくらいの夜道なら、イサナのこと、匂いで見つけられないの?」
 
無邪気に語りかけたあとで、軽大郎女は口を噤む。
常人離れした隷属隼人を獣のように見下していても、
面と向かって卑下するような大和びとはいない。
姫もまた、己にない能力に対して、純粋に敬意を抱いたに過ぎない。
 
「わかりますよ。匂いで、わかるんです。」
 
気分を害した様子もなく、糸を撚りあわせる作業を止めて、
遠間合いから姫に向けて、右の手を差し出した。
 
「月草の.. 微かな香りが匂いませんか?」
 
「ううん.. ダメよ。全然わからない。」
 
コイは微笑んだまま、姫の右手を取り、
手首の上に野草を練った粉でひと撫でした。
 
「ダメ.. まだ、わからない。」
 
手首の近くまで顔を近づけるが、
姫は依然として、困惑したままである。
 
「だから、こうするのですよ。」
 
コイが姫の手を取り、手のひらを重ね合わせると、
それまで匂わなかった山野の香りが、一気に周囲を包み込んだ。
 
「だから、月のない夜はダメなんです。」
 
母屋の外からは、ほんのわずかなれど、
小雨の降る音が聞こえてきた。
 
  • 2017.02.11 Saturday
  • 00:00

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